そのスケジュール感のニュアンス感には困り感がある
どうにも違和「感」を覚える言葉がある。
〇〇感。
優越感、悲愴感、無力感etc.…「正しい」日本語などと偉そうなことは言えないけれど、ちゃんと国語辞典に載っているレベルの言葉は結構ある。
これらは、文法的に言えば、状態を表す名詞に「感」が付くことで、ある主体の中にその状態を引き起こす感覚が生じていることを意味すると考えられる。
例えば、「Aさんが優越感を持っている」というと、「Aさんが(何らかの比較対象との関係で)自分はそれより優越しているという感覚が生じている」という意味である。
特に変だとは感じない。
もちろん今回書きたいのはこれらの言葉ではない。
いっときよく言われていた「~~的」という言い方と同様に、
何にでも「感」をつけ過ぎじゃないか??という素朴な疑問だ。
身近なところでは、女性向けファッション雑誌に顕著だが、コーディネートや各アイテム(この言葉もあまり好きではないが今回は措く。)を形容するのに「〇〇感」が使われることが多いと思う。
"シックなカラーのバッグで大人感をプラス♪"
とか、
"かっちりめのジャケットできちんと感をアピール"
など。
(いずれも今適当に考えた(笑)。)
その昔、『丸の内サディスティック』や『無罪モラトリアム』等の音楽作品を受けて、”本来の日本語”と”カタカナ外来語”を任意に組み合わせれば椎名林檎さんのアルバムのタイトルっぽいものが作れるんじゃないか、というノリで、ランダムに言葉を組み合わせて表示してくれるサイトがあったが、
それと同じノリで、それっぽい言葉を適当に組み合わせればいくらでもこの手の宣伝文句が作れそうな気がする。
…閑話休題。
ただ、ここで用いられている「〇〇感」は、「大人っぽい感じ」とか「きちんとした感じ」と言いたいのを、いわば略語のようにして使っていると解釈ないし説明をつけることができる。少ない字数で写真のイメージや良さを印象づけなければならないファッション雑誌の事情も考えれば、納得いく。
それでも、上記で挙げた優越感や悲愴感などを仮に「本来の用法」と呼ぶとすれば、ここでの「感」は本来の用法とは意味合いが異なることがわかる。
本来の用法では、「感」は、その前にくる語が表す状態を、その主体が明確に認識していることを表している。先ほどの優越感の例でいえば、「Aさんは(他よりも)優れていると認識している」ということだ。
一方、大人感やきちんと感などにおける「感」は、「大人っぽい」とか「きちんとした」という形容詞をぼかす役割があると感じられる。
ぼかすといったのは、実際に大人っぽいかどうか、きちんとしているかどうかは問うておらず、あくまでもそれらしいイメージ(ないしは、そのようなイメージを持たれるであろうといういわば自己満足)があればよいという認識に基づくことを指したものだ。ニュアンスとしては、各人の感覚ではなく、外向きの演出の方に焦点があると思う。
身なりをもって積極的に自己表現をしようなどとはしない普通の女性向けファッション誌の言葉。何だか納得。
しかしそこにきて、毎度、私の喉に引っかかった魚の骨と化してくれるのが、
「スケジュール感」だった。
なんだ、これは。
補足に憶測に解釈を加えれば、「現時点での大まかなスケジュール(仮)」といったところだろうか。
ここで、「感」には、もっと曖昧さを残すような意味合いや意図が隠されていると思われる。邪推してみよう。
- 現時点においては、相手が期待するような精度や明確さをもったスケジュールはできていない、という事実。
- 後から随時変更をする余地を残すための予防線。
- そのスケジュールを実行する過程でずれが生じても、そのことがトラブルの原因となることを防ぐ効果(あるいは、そのプロジェクトがそもそも厳密なスケジュール遵守の下に行われるものでないというお知らせ)。
…と、「スケジュール感」を示す側が保身やごまかしに走っているかのような書き方をしたが、悪いことばかりではない。バックグラウンドが違う者どうしが一定期間協働するにあたって、ある程度の共通認識を作るという役割だってある、「スケジュール感」には。さしあたりお互い何となくわかっていることが大事ということ。
本来の用法における「ある主体の感覚」よりももっと広範囲にわたってかつ明確さを薄められた「イメージ」という、「きちんと感」における「感」が持つニュアンスがさらに膨らみ、別の意味合いや思惑が混入してきた「感」(笑)がある。
だから、流動的な要素や予測困難なことがあまり想定されない場合に、「スケジュール感」といって示されると、杜撰な印象を抱いてしまう。
(パート2に続く)